レオナルド・ダヴィンチは私生児として生まれ、複雑な幼少期を過ごしました。この時期のトラウマがレオナルドの人間性や作品にどのような影響を与えたのかを検証してみます。
はじめに
イタリア史上、いやヨーロッパ史上最大の天才レオナルド・ダヴィンチは、生まれてすぐ母親と引き離され、祖父によって育てられました。レオナルドにとって母の存在とはいったいどんなものだったのでしょうか。レオナルドの人間性や作品への影響とともに考えてみたいと思います。
未婚の両親から生まれた私生児レオナルド
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レオナルド・ダヴィンチの父ピエーロはフィレンツェで働く公証人でした。レオナルドはピエーロがヴィンチ村に里帰りをしている間、16歳の村娘カテリーナと関係を持ったときに出来た子供です。当時2人は結婚しておらず、その後も正式に婚姻を結ぶことはありませんでした。
引き裂かれた母との絆
カテリーナの妊娠を知ったレオナルドの祖父アントーニオは激怒します。これは一説によると、カテリーナが生粋のイタリア人ではなく、アラブ系の奴隷だったことが原因だと言われています。アントーニオはカテリーナがレオナルドを産み落とした直後にレオナルドをカテリーナから取り上げ、カテリーナとピエーロそれぞれに別の結婚相手を世話することで、2人の関係を引き裂きます。父ピエーロはフィレンツェに戻り、レオナルドはヴィンチ村で祖父によって育てられました。
近くて遠い母の面影
カテリーナはレオナルドと引き裂かれた後も、ずっと同じヴィンチ村の住人でした。幼少のレオナルドはカテリーナを実の母だと知っていたのでしょうか? 想像するに、恐らくカテリーナを嫌う祖父の元で育てられている間は知らされていなかった可能性が高いと思われます。しかし世紀の芸術家になるほどの鋭い感性を持ったレオナルドが、同じ村に住むカテリーナという女性に、そして彼女の、自分を見つめるその瞳の奥に、ただ同じ村に住む女性という以上の「何か」を感じていたことは、想像に難くありません。
レオナルド・ダヴィンチの絵画に描かれる人間像
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http://www.artmuseum.jpn.org/mu_gankutu.html
レオナルド・ダヴィンチは生涯独身で、同性愛者だったと言われています。彼のこの性的指向は、私生児として生まれ育った幼少時のトラウマと深い関係があると考える学者もいます。例えば同じ同性愛者だったミケランジェロは、筋肉隆々の男性的な彫刻を好みましたが、レオナルドの絵画には中性的な少年や、母性を感じさせる女性が目立ちます。
レオナルドの女性観
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母親の存在が男性の女性観に大きく影響を与えることは、心理学でもよく語られるところです。近所に住む「他人としての母」を持った幼少期から、レオナルド・ダヴィンチにとって女性とは、「近くにいても手の届かない憧れの存在」だったのではないでしょうか。この点でレオナルドは生涯生身の女性には興味が持てなかった、後天的な同性愛者だったのかもしれません。
モナリザに投影された母の面影
http://www.artgene.net/detail.php?EID=11311
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かの名画「モナリザ」にも、レオナルド・ダヴィンチの母の面影が投影されていると考えられています。「モナリザ」の初期の絵をレオナルドの弟子サライが模写した夫人の顔は、とても西洋的な顔立ちをしています(画像下)。これに対して、ルーブル美術館のモナリザ(画像上)は、どこかアジア風の顔立ちをしています。そしてレオナルドの母カテリーナは、アラブ系の女性でした。レオナルドはモナリザの絵を一生手元に置いて、書き足しや修正を加え続けていたと言いますが、その過程で母の面影が次第に色濃く浮かび上がっていったのかもしれません。
終わりに
レオナルド・ダヴィンチの出生の秘密、そして複雑な母との関係、それがどこまで彼の人間性や作品に影響を与えたのか、想像の域を出ませんが、彼の作品に感じられる女性像から、レオナルドが想像を通して、遠くて近い、近くて遠い母の残像との対話を楽しんでいたと想像するのはそれほど突拍子もないことではないと思います。皆さんはどう思われるでしょうか。